Wednesday, December 05, 2007

演出意図(3)

最初、この劇場の天井の高さと客席の狭さに戸惑った。
しかし、今じぶんの考えている日本の芸能の本質的な流れを、その空間形式によって試みることができるのではないか、と思ったのです。
私は、日本の伝統芸能のうち茶道を第一と考えています。それは禅の教えを基本とし、建築、華道、能楽、絵画、書、庭園、香りと食の道など、生活を基盤とした総合芸術である。
そこには主人の招きによって客人は参加し、なんらかの実世界にはない“ゆとり”と“精神性”を得て帰るのです。これには客席が少ない方がいい。

茶道の動作は能楽からきている。出演者の精神性が同じように求められる。場面の配列は、出だしの瀧と影の部分を一番目ものの「脇能」(全員)として、二番目ものは「修羅」(山下浩人)、三番目の「女もの」は「女面」(村田みほ子)とした。四番目は「狂女」(浅沼尚子)、五番目の「切能」は「切り」(及川廣信)とした。
演技形式に関しては舞踏の“アチチュード”に対して“ジェスチャー”部門を強調し、肉体の枠から逸脱する演技空間と、面からはじまる身体的表情を重要視した。ダンスの種別は舞踏と区別するため、あえて歌舞伎から歌を除いた“舞妓(ブギ)”とした。

天井の高さは歌舞伎的仕組みで工作し、場所の意味性を移動させることに務めた。「実と虚」の問題、“おくのほそみち”、舞台設定案とこれらの問題は、最初大串孝二から提案されたものである。大串孝二は、ほかに鐘の実音も演奏し、天井裏にて外部空間を演技者として受け持った。

音響の弦間隆は、スピーカーを上に向け、壁に反射させて空中に音響の渦を巻かせ、客席からそれを間接的に聴く音響構成をとった。
照明の坂本明浩は、光と影を精神性の問題として表現し、電燈のほんのりとした色合いから、場面々々の状態を色と捉え、白光の太陽の光りで宇宙の広がりを感じさせる構成をした。

演出意図(2)

先のブログで[肉体]と[形態]ということばが出てきた。そのことばが出てきた背後に表現としての[舞踏]と学問としての[形態学]がある。
舞踏は神秘主義と生命哲学をベースに、モダンダンスやコンテンポラリーダンスの<ムーブメント>に対して、<アチチュード>を表現形態の基本としている。形態学は医学・生物学の身体と器官のフォルムを対象とする“差異”の比較から始まったものである。元は“人類学”で、分科系の“文化人類学”に対して“差異人類学”ともいった。やがて計測の対象が身体から顔面に向い、また内部は内蔵から大脳に移動した。それがユングなどの影響によって「心理形態学」「唯脳主義」となり、それらをより表出するものとして「顔面表情」が注目されている。ここで、能楽の「面(おもて)」の表情・キャラクターから始まる表現形式があらためて見直されなくてはいけない。

ここで社会学者コントの学説の宇宙的世界/形而上学の世界/リアリズムの世界から敷衍した、古典演劇の宏大な空間の中にいる表現/形而上の空間を感じさせる点と線と角度の幾何学的表現/皮膚と接触と感覚を基盤にするリアリズム表現を思い起していただきたい。
そして、この3つの世界の下部にラカンのいう想像界/象徴界/現実界がどのような位置を占めて交錯しているかが問題なのである。

映像はイメージである。それはラカンのいう想像界に属すると同時に、「実と虚」の“虚”に属する。だが、カメラで対象を写すカメラマンの行為は“実”である。
加藤英弘のつくった映像の、胎蔵マンダラと金剛界マンダラは、虚でありながらこの世界の実像を両面から伝えようとしている。

美術、音楽、舞伎については、次回に記します。

Tuesday, December 04, 2007

演出意図(1)

12月1日(土)、2日(日)のキッド・アイラック・アート・ホールでの“アートは症状である”の3回公演は無事終了致しました。ご来場いただきました皆様方に深く御礼申し上げます。
さて、今回の公演のねらいは、先に申し上げた通り「実と虚」の問題を出発点としておりますが、それから思考が“おくのほそみち”を辿って、なにやら明るさを見出したような気がします。そのことを前のブログを受け継いだかたちで語ってゆくことにします。

先ず、ルイ・アラゴンとシュル・リアリスムのことから入りましょう。シュル・リアリスムは超現実主義と訳されています。シュル・リアリスムの提唱者のルイ・アラゴンはフロイトの精神分析から影響され、それを文学に適用したのですが、無意識の世界を、現実の世界とは離れた“夢”と通底する世界と捉えている。
ところが、シュル・リアリスム運動に参加したアントナン・アルトーは幼児に脳膜炎を煩い、以後、生涯頭痛と神経症に悩まされつづける。それゆえ、彼にとっては無意識の世界こそが現実の世界であったのです。この点で彼だけが、シュルな運動をしているのではなく、そこにこそ現実のリアリスムがあったのです。

じぶんの意識が置かれている処が、リアルな場所なので、日常的な現実の方が架空なのです。それは仏教がこの世を仮空と捉えるのに相似している。ただ、仏教のばあいは、“こころ”のみが唯一、確かなもので、この世には実体がない、としているのです。この「ない」は“無”とは違う。“空”です。“空”は“無”でもあり、“有”でもあるもの。このあたりに仏教のややこしさがあります。

そこは“物自体”、“物そのもの”が置かれてもいい格好な場所かもしれません。人間でいえば衣服を脱いだ裸の身体から、さらに意味と価値をはぎ取られた[肉体]が。
しかし、その肉体の中に内蔵があり、骨があり、細胞があるー それらを切断する。<分節化>し、<分子化>する。(この2つが、形而上学の世界と宇宙的世界の、それぞれの下部空間における変身的身体表現。ムーンとマーキュリーとサタンが交互に表出する)

そこに、いわば[形態]を排除された断片と浮遊する分子群の動きの様態を見ることができます。それが“象徴界”をはぎ取られた、最終的な“現実界”なので、現象、物体の中にもそれを感じとれる人にとっては、それがリアルな現実の世界なのです。
ラカンが理論化する前に感じとった現実界は、たぶんアルトーが感じとったものとは違うかもしれません。しかし、この下部の“現実界”から、慣習と意味性と視覚の幻覚をまとった日常の世界を眺めていたのでしょう。

ラカンの理論は難解といわれます。ある高名な精神医学者がラカンの講座に出席したが、「なにが何だか皆目分からなかった」と告白してくれましたが、ラカンのいう、日常の地下にあるこの“現実界”を知ったものでないと理解できない筈なのです。
では、ラカン自身は、なぜそれを知り得たのでしょうか。私の推測では、それはアルトーからではなく、ジョルジュ・バタイユからの影響だと思うのです。